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(※日記注意)マーク・ザッカーバーグへの手紙

@rkanbe です。

昨日ようやく「ソーシャル・ネットワーク」を見た。その影響かやたら濃い夢を見たので、映画の感想などはまた別エントリに譲り、その内容を書いておきたい。

冬の寒い舞台が多く展開した映画のように、昨日は寒い冬の夜で帰り道では雨も降っていた。新宿で見る予定が入館できず、上映一時間前の渋谷シネパレスに行ったが満席で、上映二時間前の六本木東宝シネマズに行ってようやく座席予約ができた。スカイプラネタリウムや森美術館をめぐり、映画館に入れたのは19:00。とんでもなく早口の英語に頭のなかはかき乱されており、あちこち映画館を探しまわったので帰り道では少し頭痛もしていた。

帰宅して数年ぶりに購入したノートPCのダンボール箱を開き、セットアップをしていると程なく眠くなったので、明日も早いのでさっさと床につくことにしたのだが、ここからは妙にリアルな夢を見ることになった。

映画を観る前に立ち寄った森美術館では、「幽体の知覚」という展示をやっていたのだが、これは意識や存在の残滓が物体や形状にいかに残るか、ということを様々な展示や立体物で示したものだ。

それをなぞるように、夢の冒頭では、そんな視点を具現化するためにまずウェブや意識の中に存在する意識や感情を、粉状のペンキをかけて現実世界で形状化するという作業が行われていた(人間の頭にソフトクリームのようにぶちまけて、楽しい感情だと白く、怒りの感情だと紅くなる、といった物質が使われていた)。

夢が進むにつれ、そのうち人間の方が意識の中に入り込んでいくようになっていった。暗闇の中で少しずつ自分の活動できるワークスペースを自分の部屋をセットアップするるような感覚で広げ、 さらに組織的に意識の中での新しい活動範囲の広げ方を研究する「GHOST HOUSE」があったり、道沿いの海が見えるバス停にはめくるたびに自分の意識が図柄に反映されるカレンダーのようなオブジェクトもあった。

自分も何度か夢のなかで活動できる場所へ到達しようとしたり、到達した場所をフォーマットして使えるようにしていたが、ほとんど真っ暗闇のベッドしかないようなスペースだった。そのうち夢のなかには友人と一緒に入れるようになったり、バイクのような乗り物が走りまわったり 、自分でも友人といっしょにドライブすることができるようになった。なにしろ夢のなかなので、相手が運転している映像を自宅で自分の視覚に反映させることも自由自在だったーーー。

現実にたちかえると、ここまで展開だけでも、現実とネットの相互関係を想起させるような展開で、まるで映画「マトリクス」のようなものだと考えればありがちなプロットだったりする。しかし少し異なるのは、この夢ではリアルとバーチャルという二元関係ではなく「現実・ネット・夢(脳内の現実)」という3つの世界での相関関係が成立していたということだった。

その証拠に、夢の終わりではとても奇妙な現象が起きていた。夢のなかで自分のワークスペースにたどりつくには、結構な集中力と野生の勘みたいなものが必要なのだけど、最後の場面ではこれまでよりも明るい和室で、奥にはいつも寝ているベッドがあり、そこに到達する前の部屋の畳の上には直前にFacebookのアプリで獲得したデジタルギフトが転がっていた(お寺や五重の塔のような和風の物)。もしネットと脳内の感覚が完全に相互に接続可能になれば、そういったことも可能になるということを示唆しているように思えた。

ここでやっとマーク・ザッカーバーグの出番がやってきた。FacebookのIPOが済んだ彼がどこかの会議室で次のプロジェクトに取り組んでいる光景が目の前にひろがり、配布されている資料の表紙には「How to Realize Dream」などと書かれていた。ここまでの話の流れでは、当然それが何を意味するのかわかった。よくある自己啓発本にあるような「いかにして社会的に成功し、お金を稼ぐか」という書籍の企画書などではなく、コンピューター、クラウドに続く「第三のコンピュータ」は人間の脳なのでありその未開拓の空間を以下にしてコンピューターネットワーク、ひいては現実世界から利用可能にするかというプロジェクトに、彼は投資しようとしていたのだ。暖房の空調が強まり、外部からの刺激がまして、自分はそこで夢から目覚めた。

もし人間の脳に、人間が自分の権限でログオンし、その脳内世界の演算機能をワークスペースとして自由に使えたり、取り出したり、また外部のコンピュターネットワークから脳内に自由にアクセスできれば、人間は肉体活動と分離した知的活動を実施することができるようになる。現実に体験していないという意味ではたしかに「仮想」の活動なのだが、人間活動がそこに自由に持ち込まれるようになったのであれば、もはやそこは現実である。

現在そのような現実をもたらすために必要なのは、単に技術力の欠如である。コンピューターのアーキテクチャと人間の脳内のアーキテクチャにはあまりにも互換性がなく、非破壊的なインターフェースの相互接続性も低い。しかし、Facebookが人間関係を最高のコンテンツとして認めたように、動物としてではなく知性としての人間に最も重要なのは脳や意識に対する相互アクセスであるのではないかと考える。

もし、成功して材をなしたならビル・ゲイツのように社会に多大な寄付をおこなって社会貢献活動を行うのもよいだろうが、未だアクセス不可能な、データ・ネットワークである人間の脳や脳内活動とネットワーク、ソーシャルグラフとの接合に投資したら・・・?それが人間の幸せにつながるのかどうかはしらないが、きっとまた大きなビジネスになるのではないだろうか。まさに新しい「夢の具現化」というにふさわしいだろう。

数年前、ジュリー・アンドリュースの本から着想を得たウェブのサービスをつくりたいと、英文で手書きの国際郵便を送ったことがある。しかしその時は「一切のアイディアは受け取らず、我々は知財に関する関与を許さない」といったようなメッセージが、感謝の言葉とサイン付きの厚紙にプリントされた写真とともに送り返されてきた。今回もそれと同じように何かのかたちでマーク・ザッカーバーグに「次はこんな分野に注力すべきだ」などという戯言を送ったら、どんな手厳しい返信が返ってくるだろうか。いっそ、それを実行してみたくなってしまった。もちろん、タレントでも公人でもない彼から、おかしなアイディアを送りつけてくる輩に返信を送ってくる、なんてことはないだろう、実際にそこに書かれていることを実現する技術と実証された実績でもないことには。

・・・というのが、疲れきった心身で昨日の出来事が海馬を通過する前に見せた夢のかけらを記録し考察したものだ。夢は見るときはいつも見るが、ここまで具体的で、企画書のタイトルに洒落まで利いた夢をみるのもめったにないので、記録してみた。映画や森美術館だけではなく、スカイプラネタリウムも見て宇宙ヤバイ状態だったので、夢もやたら濃かったのかもしれない。つまり日曜日は楽しかったってことだろう。

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